そんなに長く住んでなかったけど、当時はファストフードもラーメンもそばもうどんも食べたくてもなくて、これしかなかった。
その時の沖縄そばのイメージは、スープが透明で、こんぶだしの匂いがプーンとして、でもスープを飲むとなんだかうすーい感じで、麺も平たくて食べても食べてもなにか軽ーい感じでパンチが足りない、食べたりない感じがした。
(きれいな言葉で言うとやさしい味)
京風うどんの透明な汁にちょっと歯ごたえあるラーメンの平麺入れてみました。・・に近い感じ
(厚肉入りのそばもまだどっかの店で初めて産まれたばかりで流行ってもなくてぜんぜん出回ってなかった。)
家族が思い出す沖縄そばも、だいたい「あー、あの食べたりなーい感じのなぁ。」という感じの言葉で意見が一致する食べ物だった。
・・・ところがっ!! あれから約2X年、、、今月あれからはじめて沖縄に行ってわかったのだけど、
いまはだいぶ進化していて、どこで食べても麺も太くて身がつまった感じで、汁もかなりしょっぱくなって、そして豚骨スープ入りで昔と比べたら味も濃くて食べ応え抜群!!
確かに、今あの頃のそばを700円とか800円で売ったとしても、軽すぎてあまり売れないだろうと思う。
それに当時はまだ返還されて間もなかったから、いろいろな経済事情で薄かったのかも。
でもお年寄りなんかはあの頃のそばの味を好む気もするので(さっぱりしてるから)、多分どこかでは昔ながらの味も作っているんだろう
07/25(土)
今日は隅田川花火大会と同日で昭和記念公園の花火大会。
先に消防車何台も置いて、家に火がつくかもとドキドキしながらも、低めの位置でバンバン休みなく打ち上げるヤケクソ的な隅田川花火も、いかにも江戸っ子的で見ていて気分爽快ですが、
涼しい広ーい公園で、寝転んでみたりのんびり足伸ばして見る花火大会もいいねぇ。
昭和記念公園は元米軍立川基地で、元々敗戦まで日本の陸軍航空両用の基地だったけど接収されたとのこと。
中継地としてベトナム戦争の時にベトナムで亡くなった兵士をここできれいに洗って再度飛行機に乗せてアメリカに送還していた時期があって、その死体を洗うバイト代がそうとう良くて、当時はみんな貧乏だったし有名で、知り合いが実際にバイトしたけど匂いも残るしキツかったとかなんとか、前にうちの親が言っていた。
・・そんなことを花火終わって出口へ出るまでの間思い出しちゃったので、できるだけ人が多いところを歩いた。
ひとつだけお願い事ができるとしたら、何を願いますか?その理由も教えてください。
ドラえもんください。
・・・って言ってみたかっただけです。
土曜日の朝・昼兼用ご飯に はじめて ろこもっこり を作った。
最近の休日の朝はしぶく、ごはん味噌汁しらす大根おろしぽんず、なんか野菜と梅干し、目玉焼きor一夜干しの魚
(炊くだけ、ゆでるだけ、おろすだけ、焼くだけ、という安全パイ)
いつも横のビルのお昼に売ってるロコモコ丼見てて、
「これってハンバーグと目玉焼きをただご飯に乗せてるだけだよなぁー」
とずっと思ってて作ったらその通りだった。
ハンバーグも人に言われた通りに作ったら、フライパンの中で固体から再度ひき肉に戻ることなく、ハンバーグになった。
グレイビーソースはようわからんくて、多分こんな感じだろーと、
ハンバーグ汁に、スライスしたニンニク放り込んで、
ブルドックソース + ケチャップ + ビンで売ってるサルサソース + 火を入れると酸っぱくなるから少し砂糖
を入れたらまあそんな味になる。
隣りのビルのロコモコはお好み焼きのときつける、ケチャップとマヨネーズ混ぜたソースも乗っかってたが
もう面倒くさくてやらなかった。
あとバナナもいちごもあんまり手が出ないので(なんか袋から出すのが面倒臭いというか・・)
そのままヨーグルトと豆乳と一緒にミキサーに放り込み、部屋が暖まりバナナの香りが台所に充満する前に
バナナ2本を飲んで消費。
安心して外へ出る。
日曜日、いろいろ準備やらの用事で赤坂に行く必要がありそれが終わったところで、氷川神社の山車が丁度、
赤坂Sacas の ACTシアター前から、午後、氷川神社に帰るための巡行を開始しておりました。
ACTシアター前で、午後の山車巡行開始の前に、中村勘三郎さんの始まりの挨拶みたいのがあって、
(<=多分、ACTシアター で今やってる コレ 関連のよう)
勘三郎さんの 声だけ聞こえていたのですが、人込みが多過ぎて顔を見ることはできなかった。。
個人的には赤坂が昔、花街だった名残りの赤坂の芸妓さんを初めて見ることができたのでそれが超うれしかった!!
on ろこもっこり丼